研修医の声

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清水先生の研修手記(平成28年度入局)

清水 広之

東京医科大学の眼科に入局して間もなく1年が経とうとしています。将来眼科入局を考えている方の参考のために、感じた事を自分なりに紹介したいと思います。

僕は、一度他大学の理工学部を経てから医学部に入学した、いわゆる再受験生です。母校も札幌医科大学で、研修も長野県の市中病院で行ったため、東京医科大学とは所縁がありませんでした。色々と迷った末、研修医2年目の6月に進路を眼科に定め、そこから関東の大学病院への入局を考え複数の大学を見学しました。その中で、見学の際に雰囲気が良く、臨床も研究も精力的に行っている印象を受けた東京医科大学に入局しました。

東京医科大学では、ぶどう膜、網膜硝子体、緑内障、角膜、腫瘍、神経・斜視弱視、涙道など多くの専門診療を行っていいます。また硝子体手術から、眼形成まできわめて多岐にわたる手術を行っています。入院患者の診察や外来の陪席を通じてあらゆる疾患を経験できます。すべての紹介患者を受け入れるため、緊急手術の件数も多く(学内で最も緊急手術が多く表彰されました)決して楽ではありませんが、最後の砦として医療の一端を担っている事実を誇らしく思えますし、深夜の緊急後に先輩と摂る食事は最高に美味しいです。

僕らの代は同期6人のうち2人が他学出身です。当たり前のことかもしれないですが、出向や指導そのほか平等に扱われます。僕も何度か学会発表の機会があり、次回は日眼で発表する機会をいただきました。

多忙を極める中、深夜まで発表や抄読会の指導をしてくれる先輩達に感謝しながら過ごす今日この頃です。

清水 広之

柳田先生の研修手記(平成28年度入局)

柳田 千紘

眼科医になることは私の幼いころからの夢でした。
その夢が叶い、そのスタートラインに立って1年が経ちました。母校である東京医科大学の眼科に入局を決めたのは先生方が指導に大変熱心で、幅広く眼科疾患を学ぶことができると考えたためでした。
入局後は諸先生方のご指導の下、基本的な診察や手技を学びながら学会発表などの機会も与えて頂き、あっという間に時間が過ぎていきました。眼科の勉強をすればするほど、自分の知識の脆弱さや勉強すべきことが山積していることを痛感しますが、そんな毎日が楽しいこの頃です。
尊敬する諸先生方、切磋琢磨できる同期に出会うことができ、とても感謝しています。
今後も眼科医として恥じぬよう、日々邁進してまいります。

柳田 千紘


 

藤井先生の研修手記(平成27年度入局)

眼科医として母校東京医大に戻って一年が経ちました。初期研修を他病院で過ごしてきたため、当初は仕事も勉学のことも何もわからない状態でした。人一倍物事を習得するのに時間のかかる自分でしたが、熱心で暖かい先輩方に恵まれ、丁寧な指導をいただける環境のおかげで「毎日が新しいことの発見と進歩」と、楽しく有意義な日々を送ることができています。
入局後の上級医のクルズスや指導医体制から当科での眼科教育に対する熱心さが伺えました。入局前はほとんど医局のことを知らない自分でしたが、それにも関らず、丁寧に様々なことを教えていただきました。 この指導への熱心さの源は医局員の医学に対する好奇心の旺盛さと人に対する暖かさにあると思います。先輩後輩で高めあえる医局の仲間になることができて本当によかったと実感しております。
入局した後輩や指導いただいている上司に恥じないよう、日々精進してまいります。

藤井 敬子

馬場先生の研修手記(平成27年度入局)

馬場 良

元々父が眼科の開業医であり、その影響で私は医学部に入った時から何となく将来は眼科になるのだろうなと思っていました。ただ、いざ国家試験に合格すると眼科に興味を持てないかもしれないといった不安を感じたことを今でも覚えています。
しかし、いざ初期研修で眼科をラウンドすると手術の面白さ、診察の難しさ、そして眼という臓器の奥深さを感じるようになりました。眼への興味を強く持つようになった私は、最終的には初めの志通りに眼科になることを決意しました。

現在、私は母校である東京医科大学の眼科に入局し1年が過ぎました。
入局1年目だった昨年は先輩方に基本的な診察や手技を熱心に指導していただきました。また、学会発表の機会を与えていただき、忙しいながらも充実した1年間を送ることができました。
そして4月から2年目になり、たくさんの後輩も入局してくれました。
これからは先輩方に教えて頂いたことを後輩に伝えながら、自分自身も先輩たちや後輩たちに負けないように努力していこうと思います。

馬場 良

松島先生の研修手記(26年度入局)

松島 亮介

私は眼科に入局するか内科に入局するかでとても迷いました。
元々、父が眼科医で、医学部に入学した当初は眼科医になろうと思っていました。しかし、国家試験を終え、前期研修医として働き始めると様々な科が魅力的に見えてしまい、一時期は「眼科に入らなくてもいいかな。」と思っていた時期もありました。
そんな中、1ヶ月の眼科研修が始まりました。眼科についてはそれまであまり勉強してこなかったので、わからないことだらけでしたが、反対に全てのことが新鮮でもありました。
先輩方に一からご指導していただき、最初は全く見えなかった眼底も多少なりとも見えるようになると、かなりの感動を覚えました。その時から徐々に昔の感情が呼び起こされ、やはり自分は眼科医になりたかったのだと改めて実感しました。
父からは一度も私の進路に関して言われたことはありませんでしたが、最近の会話は眼科の話題が増え、親孝行ができたのではないかと思っています。

現在、東京医大眼科に入局して数ヶ月が経ち、諸先生方のご指導の下、手術や学会発表など多くのことを経験させていただきました。まだまだ眼科医としては未熟ですが、先輩方に負けないよう頑張っていこうと思います。

松島 亮介

真島先生の研修手記(26年度入局)

真島 麻子

私の父は眼科医であり、幼い頃、休日に病院へ行った際に細隙灯顕微鏡や眼底鏡などで遊んでおり、将来は父と同様に眼科医になりたいと子供ながらに考えていました。しかし医学部に入学し、学生時代には整形外科にも興味を持ち始めました。その後、医師国家試験に合格し、初期臨床研修医として医療現場に立ち、様々な診療科をローテーションしましたが、最後まで眼科と整形外科で迷いました。しかし、幼い頃からの夢、研修で眼科を回った際の手術の面白さ、眼という小さな臓器から様々な疾患を学べるという奥深さもあり、私は研修2年目の夏に眼科医になろうと決心しました。
入局して数ヶ月が経ちましたが、眼底も見えるようになり、様々な手技もやらせて頂き、より一層眼科の面白さを感じています。
指導医の先生方は皆、熱心に教えて下さり医局員同士仲が良く、お互い刺激できる環境であると思います。現在同期は2人ですが、お互い切磋琢磨しながら頑張らせて頂いています。

真島 麻子

坪田先生の研修手記(平成24年度入局)

坪田 欣也

私の父は某大学医学部の眼科の教授であり、一部の方々の間ではちょっと有名な少し変わり者の眼科医でした。初期臨床研修医がスタートした時は、周囲から「お前は親父があれだから、眼科医になるしかないだろ」とか「眼科以外の科に進んだら裏切り者だよね」と、よく言われたものでした。私は幸いにも兄弟に恵まれ、5人兄弟の2番目、次男として育ちました。長男は医師を志さなかったものの、兄、自分以外にも、まだ3人も兄弟がいるのだから、もう1人くらい医師になるだろうという気持ちと、周囲への反発心から、「眼科は兄弟に任せて、自分は絶対に眼科以外の医者になろう」と心に決めて、私の医師としての生活は始まりました。ところが、研修が進むにつれて兄弟の進路が決まり、自分の予想に反し、医者になったのは5人兄弟のうち自分1人になってしまいました。非常に悩みました。父親が眼科の教授とはいえど、継ぐ診療所があるわけでもなかったので、眼科にならなくてはいけない理由はありません。しかし、両親には医学部まで進学させて頂いた感謝の気持ち、親孝行したいという気持ちと「眼科以外の科に進んだら裏切り者だよね」という言葉が重くのしかかりました。私は悩んだ末、もし合わなかったらすぐ止めようと思いつつ、初期研修の選択の1番初めの期間に眼科を選択しました。眼科を研修して感じたのは、眼科の奥深さでした。こんなにも臓器が小さいのに学ぶことの多さ、手技の多さに驚き、また自分もやりたいと強く思うようになりました。研修させて頂いた眼科は上司、同期にも恵まれ、最高にいい環境で、私は眼科の魅力にとりつかれ、眼科医になることを決意しました。現在は出身大学である、東京医科大学に所属させて頂き、全ての分野に精通できるよう毎日手厚いご指導頂きながら奮闘しています。様々な手技もどんどんやらせて頂き、眼科医になって良かったと毎日思いながら、頑張らせ頂いています。

坪田 欣也