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学会・研究会の報告

壬辰年の始まりと現人医学史との邂逅

投稿者:内野

カテゴリ : 研究会

今年は、壬辰(みずのえたつ、じんしん)年であります。水龍の歳となるそうです。壬は、十干(じっかん)のひとつで、10の要素の順列であります。辰は、十二支(じゅうにし)のひとつで、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥からなります。干支の本義は、古代研究に便利な漢の釈名や、史記の歴書によっても、実は生命消長の循環過程を分説したものであるそうです。本年は、龍神が水の中で、大いにうごめき、活動される年らしく、そう思うと地震なども気になります。また、新しく物事が生まれてくる年でもあるようです。期待をもって、新年を迎えましたが、1月1日に初詣に都内の神社にお参りし、境内で順番を待っているときに地震に遭いました。神社の参道の敷石が横にずれたので変だと感じた途端に大きな揺れを感じ、振り返ると近くのビルが大きく揺れていました。今年は、インパクトの強い始まりとなりました。

龍.jpg年明けの1月6日に聖路加国際病院の理事長である日野原重明先生にお遭いさせていただく機会に恵まれましたので、急遽、現地に行くことになりました。今回は、麻酔科医不足をどのように考えておられるのかを伺うことになりました。奈良医大 古家教授、看護師の滝さん、安全管理学講座の相馬教授とアメリカから来られた麻酔看護師のSさんの5名で面会をしました。現地に着いて、理事長室の前で待つこと10分、秘書の方から面会の許可が出て、いざ理事長室に通されました。「面会は15分です。」と釘を刺されました。ソファーには、日本の医学の歴史そのものであり、「現人医学史」とも言える日野原先生がにこやかに座っておられました。初めてお会いした日野原先生でありましたが、私の記憶では、 30年近く前の学生時代に勉強で用いた「内科診断学」の著者に会って話を伺っているというタイムパラドックスが生じていました。日野原重明先生は、1911年(明治44年)山口県山口市に生まれました。お父様は牧師をされておられ、アメリカに留学、帰国後に広島女学院を拡大し、学院長を務められました。

IMG_2917.JPG日野原先生はお父さまの影響を受け、クリスチャンとなられたとのことです。高校卒業後に、京都大学医学部に入学され、1937年(昭和12年)に京大を卒業されました。その後、1941年(昭和16年)に聖路加国際病院の内科医となり、内科医長、部長、院長を歴任されました。その後、聖路加看護大学学長も務められ、現在は、聖路加国際病院理事長の要職にあられます。莫大な数の執筆に加え、日野原先生の功績の中で、特筆される点は、早くから予防医学の重要性を説き、終末期医療の普及にも尽くすなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた点や「成人病」と呼ばれていた一群の病気の名称を「生活習慣病」に改めたことなどがその一例と言えます。また、先見性を示された逸話として、大災害や戦争の際など大量被災者発生時にも機能出来る病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を1992年に作られたそうですが周囲からかなり厳しい批判に会ったそうです。しかしながら、1995年に起きた地下鉄サリン事件で、建設当時に非難されたロビー・礼拝堂施設は緊急応急処置場として機能し、日野原先生の御判断により、事件後直ちに当日の全ての外来受診を休診にして被害者の受け入れを無制限に実施することで、同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件でありながら、犠牲者を最少限に抑えることに繋がったとのことでした。また、これまでのエピソードとしては、1970年に日本内科学会に出席するために搭乗した飛行機で「よど号ハイジャック事件」に遭遇し、人質として拉致され、韓国の金浦空港で解放されたという武勇伝も持たれておりました。このような、キャリアを有しておられる日野原先生ですが、温厚で、絶えず周囲を気遣い、思いやり深い人柄を感じさせるものがありました。  特に、日野原先生は、医療行為を医師のみに行わせることを主張する日本医師会の立場に対し、新米の医師よりも治療に精通した看護師もいるとして、医療行為を広く医療従事者に行わせることを認めるスタンスを取っておられます。我々麻酔科医不足の問題の解決には麻酔看護師の導入が必要であると考えておられるようでした。聖路加大学では、今年の4月から麻酔看護師を養成するための学科が始まるそうです。現在、麻酔科学会は、周術期管理チームを構築する中で術前管理、手術室医療、術後管理を滞りなく遂行できるようにしたいと考えており、麻酔看護師導入には、賛成の立場を取っておりません。IMG_2924.JPG実は、この日に日野原先生との面会を終えてから本郷で行われた「周術期看護を考える」研究会に参加し、麻酔看護師のSさんからアメリカの麻酔看護師の話を伺いました。挿管も、SGカテ挿入やTEEまでも麻酔看護師がしているとのことでした。かなり、日本とは温度差があり、法律的にも、システム的にも日本はかなり遅れていてなかなかアメリカのレベルまでは近づけないという印象を抱きました。麻酔看護師の問題は、話題として討論されることがどちらかというと避けられてしまうことが多く、聖路加大学の取り組みがどのように発展していくのかを見極めて行くことが必要だと思います。日野原先生は、100歳を超えてなお、スケジュールは23年先まで一杯で日々の睡眠時間は約5時間、食事は、朝はバナナと牛乳、昼はビスケット数枚と紅茶、夜は800kcalの食事という生活をずっと継続されておられるとのことでした。食生活につきましては、私も日野原先生を見習って身体に良い、規則正しい食生活を今年は心掛けよう(そうなるとよいのですが)と思いました。また、就寝されるときは、腹臥位で、それにfitする寝具(枕や布団)を作られておられるそうでパンフレットをもらいました。最後に、「聖路加国際病院の中に医学部を作るまでは生きていたい」と我々に夢を語ってくださいました。日本の医学の歴史そのものと表現しても過言ではない日野原先生に偶然にもお会いすることができたことは貴重な体験となりました。日野原先生に心から感謝申し上げます。そして、いつまでも、御健勝で御活躍をしていただきたいと思います。 

 

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