概要
「長時間労働はメンタルヘルスに良くない」という印象がありますが、実はこの2つの関係は曖昧なのが実情です。今回、東京医科大学精神医学分野の渡邉天志医師・志村哲祥医師らの研究グループは、複数の企業群を対象に行われた職業性ストレスの状況(ストレスチェック)、睡眠の状況、そして勤務時間に関する質問紙調査を行うことにより、長時間労働・残業時間は直接はうつや心身のストレス反応に関係しないこと、しかし睡眠時間の短縮と食事時間の不規則化を介して、それらメンタルヘルスに間接的に有意に関連することを明らかにしました。本研究の成果はInternational Journal of Environmental Research and Public Health誌に、2022年5月31日に掲載されました。
研究の背景
近年、長時間労働を契機とした自殺等の問題が取り沙汰されてきました。過重労働は社会的な課題と見なされており、残業時間の総量規制や上限の引き下げが日本においては進められています。しかし、「労働時間が長いことはメンタルヘルスに害悪である」という認識が存在する一方で、実は長時間労働とメンタルヘルスとの関係は不明な点が多く存在しました。
たとえば、総労働時間そのものはこの数十年間減少を続けているものの、労働者世代の自殺者はそれと比例して減少してはおらず、精神障害による労災認定も増加の一途を辿っています。
そして学術的研究でも、労働時間・残業とメンタルヘルスとには、有意な関係があるとするもの、見られないとするもの、あるいは逆に労働時間の長さは活力を高める場合すらあるとの研究もあり、結論が一定しません。さらに、メタアナリシス(複数の研究の結果を統計学的手法を用いて統合する分析手法)においても「関係がないか、あったとしても非常に弱い」と示されるなどしており、実は「本当に長時間労働は精神的に害悪なのか」については明確な結論が示されていませんでした。
我々は、長時間労働とメンタルヘルスとの間には何か別の因子が介在しており、その因子の影響が強いが故に効果量が安定しないのではないか――そして、その媒介因子とは、過重労働で影響を受けることが想定される「睡眠」と「食事」ではないかと考えました。そこで今回、共分散構造分析を用いて、労働時間と睡眠時間・食事の規則性、そしてうつや心身の不調との関係性を分析しました。
調査の結果と本研究の成果
結果の概要
長時間労働は心身のストレス反応に全く直接影響せず(標準化パス係数=-0.003;ns.)、一方で、食事の不規則さと睡眠時間の短縮を招き(0.199;-0.108;p<0.001)、それらがうつや心身のストレス反応を生じさせること(0.239;-0.143;p<0.001)、そしてこれらの間接的な効果を介して、長時間労働はうつや心身のストレス反応に影響していることが明らかになりました。すなわち、食事と睡眠を媒介因子とする、完全媒介効果(Complete mediation)が示されました。下にパス図を示します。
これは、長時間労働そのものがメンタルヘルスに対して直接的に悪というわけではなく、メンタルヘルスに強く影響することが知られている要因である「睡眠不足」と「食事の規則性」が長時間労働の結果損なわれていくことが、間接的にうつや心身のストレス反応を引き起こしているということを、統計的に有意に示した結果です。
展望
就労者のメンタルヘルスを守るためには、単なる労働時間の削減、残業時間の総量規制だけでは不十分です。仮に労働時間を削減できても、睡眠時間が不足したり、食事が不規則であったりするままであれば、メンタルヘルスの改善効果はない、ということを本研究は示しています。さらに、もし長時間労働が存在していたとしても、睡眠時間が確保され、食事も乱れることがなければ、メンタルヘルスに与える影響は限定的であることも示されています。(とはいえあまりに長すぎる残業があれば、必然的に睡眠時間は減少してしまうため、何らかの上限あるいはインターバル勤務等には意味があると考えられます)
今回の研究により、職域のメンタルヘルスの改善と不調の予防のためには、適切な睡眠や食生活を維持するための方策が必要であることが分かりました。職域における睡眠指導や通勤時間の削減、昼食あるいは夕方における食事休憩の取り方に関する工夫等が望まれます。一方、これは横断的な研究であり、因果関係は証明されていません。今後の適切な介入研究での実証が望まれます。
研究助成
本研究は、株式会社こどもみらいのストレスチェック(STRESCOPE®)より匿名化研究データの無償提供を受けて行われました。
論文情報
Watanabe T, Masuya J, Hashimoto S, Honyashiki M, Ono M, Tamada Y, Fujimura Y, Inoue T, Shimura A. Long Working Hours Indirectly Affect Psychosomatic Stress Responses via Complete Mediation by Irregular Mealtimes and Shortened Sleep Duration: A Cross-Sectional Study. International Journal of Environmental Research and Public Health. 2022; 19(11):6715. https://doi.org/10.3390/ijerph19116715