職域・産業精神医学における調査・研究

 なぜヒトはメンタル不調に陥ってしまうのか、そして、どうすればそのメンタル不調は予防・改善できるのか。我々はメンタルヘルスの不調を「予防する」ことを重視し、そのための研究開発を積極的に行っています。また、産学連携企業や他学とも連携し、ヘルスケアデータの解析による多くの研究成果を発表しています。

直近の研究のご紹介

養育環境と神経症気質が仕事のストレスに与える影響の分析:

幼少期の養育環境は仕事のストレスに影響を与えます。過保護・過干渉な養育は直接心身の不調をもたらしやすくなるのみならず、神経症傾向を介して仕事のストレス要因をも増悪させてしまうことが明らかになりました。これは遡って考えると、当然ながら養育環境を後から改善させることは不可能ですが、神経症傾向に対して対処ができれば、養育環境の影響を緩和・改善できることを意味します。ストレスマネジメントには、心理的アプローチなどを通じた神経症傾向への介入が有用であることを示唆する結果が示されました。

Seki, T., Shimura, A., Miyama, H., Furuichi, W., Ono, K., Masuya, J., … & Inoue, T. (2020). Influence of Parenting Quality and Neuroticism on Perceived Job Stressors and Psychological and Physical Stress Response in Adult Workers from the Community. Neuropsychiatric Disease and Treatment, 16, 2007-2015.
https://doi.org/10.2147/NDT.S260624

体内時計のタイプが仕事のストレスに与える影響の分析 :

ヒトにはそれぞれ「クロノタイプ」と呼ばれる朝型/夜型の体質の違いが存在します。夜型な方は職域においても心身の不調を生じやすいことが知られていますが、それはなぜかについて研究を行いました。夜型であるから仕事のストレス要因が増すということはなく、睡眠の影響が大きく関与しており、夜型の方は睡眠の問題(睡眠不足や質の悪さ)を抱えやすく、その結果として不調が生じていることが明らかになりました。現状の職域では多くの場合、勤務時間帯は画一的に固定されています。その中で夜型の方が調子を崩しやすい状態にありますが、適切な睡眠マネジメントや睡眠改善策を講じることが、心身の不調を防げ、ストレス対策になることが示されました。

Miyama, H., Shimura, A., Furuichi, W., Seki, T., Ono, K., Masuya, J., … & Inoue, T. (2020). Association of Chronotypes and Sleep Disturbance with Perceived Job Stressors and Stress Response: A Covariance Structure Analysis. Neuropsychiatric Disease and Treatment, 16, 1997.
https://doi.org/10.2147/NDT.S262510

養育環境と「レジリエンス」が仕事のストレスに与える影響の分析 :

何らかの逆境があったとしてもそれに対して立ち向かえる力、回復力、復元力といった概念を「レジリエンス」と呼び、同一のストレスがあったとしてもその反応に個人差が生まれる理由の一つとなります。本研究により、養育環境がレジリエンスに強く影響すること、そして、レジリエンスは主観的な仕事のストレス要因(ストレス知覚)を軽減し、直接的にも間接的にもストレス反応を緩和することが明らかになりました。レジリエンスは様々な方法で醸成することが可能とされており、職業性ストレス改善のための重要な方策が本研究で示されました。

Sameshima, H., Shimura, A., Ono, K., Masuya, J., Ichiki, M., Nakajima, S., … & Inoue, T. (2020). Combined Effects of Parenting in Childhood and Resilience on Work Stress in Nonclinical Adult Workers From the Community. Frontiers in Psychiatry, 11, 776.
https://doi.org/10.3389/fpsyt.2020.00776

仕事のストレスとソーシャルサポートが睡眠の問題と心身の不調を介してプレゼンティズム(生産性の低下)に与える影響の分析 :

ストレスチェックでは仕事のストレス要因や周囲のサポート、そして心身のストレス反応を測定しています。これらの要因は生産性にも影響することが示唆されていますが、どのような経路によってそれがもたらされているのかは不明でした。この研究では共分散構造分析を行うことによって、プレゼンティズムの大部分が、直接ではなく、心身の不調や睡眠の問題を介して生じていることが明らかになりました。職域でストレスマネジメントを通じて生産性向上を期する場合には、業務要因の改善のみならず、睡眠や心身の不調に対して目を向ける必要があることが示されました。

Furuichi, W., Shimura, A., Miyama, H., Seki, T., Ono, K., Masuya, J., & Inoue, T. (2020). Effects of Job Stressors, Stress Response, and Sleep Disturbance on Presenteeism in Office Workers. Neuropsychiatric Disease and Treatment, 16, 1827.
https://doi.org/10.2147/NDT.S258508

ストレスチェックで測定される項目がプレゼンティズム(生産性の低下)に与える影響の分析 :

実際に職域でストレス対策を推進するためには、その経済性や投資の合理性、つまりストレス対策を行うことが企業利益にもつながることを示すことが重要です。本研究ではストレスチェックで測定される諸項目が一人あたり年間7~13万円のプレゼンティズムと関連していることが示され、ストレス対策のための投資をすることの合理性が明らかとなりました。

田谷元, 志村哲祥, 石橋由基, 岬昇平, & 井上猛. (2020). ストレスチェックで測定される諸要因はプレゼンティズムと関連する. 精神医学= Clinical psychiatry, 62(7), 1037-1043.
https://doi.org/10.11477/mf.1405206147

職域において睡眠と結びつく生活習慣の分析 :

睡眠改善は職域における心身の健康づくりのために非常に重要です。一方で、睡眠衛生と呼ばれる、睡眠と関連する生活習慣は様々なものが提唱されていますが、その中でも何が本当に重要なものであるのかは不明なままでした。本研究では様々な睡眠関連要因を包括的に調査し、多変量解析によって各要因の重要性の濃淡を明らかにし、睡眠指導を行う際の指針となる成果が得られました。

Shimura, A., Sugiura, K., Inoue, M., Misaki, S., Tanimoto, Y., Oshima, A., … & Inoue, T. (2020). Which sleep hygiene factors are important? comprehensive assessment of lifestyle habits and job environment on sleep among office workers. Sleep Health.
https://doi.org/10.1016/j.sleh.2020.02.001

睡眠の問題がプレゼンティズム(生産性の低下)に与える影響の分析 :

睡眠の問題の存在が労働者生産性を統計的には少なくとも約3%押し下げること、そして2人に1人は睡眠に問題を抱えるとする日本の現状からすると、睡眠の問題は日本全体において最低でも7.5兆円の経済損失をもたらしていることを明らかにしました。本研究は、どのような睡眠が職場の活力につながるのかを示すとともに、日本において初めて詳細に睡眠と生産性との関連を検討した研究です。

Ishibashi, Y., & Shimura, A. (2020). Association between work productivity and sleep health: A cross-sectional study in Japan. Sleep Health.
https://doi.org/10.1016/j.sleh.2020.02.016

「物事や世界に対する観念」がストレス反応と生産性に与える影響 :

他人は基本的に信用できると思っているか否かなどの、自らが世界をどう捉えているのかを示す「シェーマ(スキーマ)」(先入観/固定観念)は、ストレス反応を増悪させたり軽減させたりし、さらには周囲のサポートとストレス反応・生産性の間をつなぐ経路の緩衝要因となることが示された研究です。概論として、性悪説的観念はストレス反応を増大させ、生産性を損なってしまいます。

Sugiura, K., & Shimura, A. (2018). How Does Schema Affect Stress and Productivity at the Workplace?: Quantitative Analysis of Schema in the Occupational Setting. International Journal of Productivity Management and Assessment Technologies (IJPMAT), 6(2), 19-38.
https://doi.org/10.4018/ijpmat.2018070102

ストレスチェックでは睡眠にも目を向ける必要がある :

標準的なストレスチェックでは仕事のストレス要因と周囲のサポート、そして心身のストレス反応を調査しますが、人は仕事の要因だけで心身の不調をきたすわけではありません。この研究は、「睡眠」がストレス反応に非常に大きな影響を与えており、全体で見れば仕事のストレス要因を上回っていることを示しました。職域のストレスマネジメントを行う上で睡眠に目を向けることの重要性を示した研究です。

志村哲祥, 田中倫子, 岬昇平, 杉浦航, 大野浩太郎, 林田泰斗, … & 井上猛. (2018). 睡眠はストレスチェックの結果に大きな影響を与える. 精神医学= Clinical psychiatry, 60(7), 783-791.
https://doi.org/10.11477/mf.1405205641

現在実施中の研究についての告示

<睡眠覚醒スケジュールと生活の規則性が職業上のアウトカムに与える影響の前向き調査>

 個人の概日リズムと社会的スケジュールとの不一致は、Social Jet Lagや外的脱同調という用語に代表されるように、心身の健康に悪影響を与えます。しかし、現実の社会において睡眠覚醒リズムを重視した働き方が導入されることは稀であり、臨床現場等でリズムに着目した生活指導がなされることもまた多くはありません。このミッシングリンクを埋めるため、「リズムを整えること」はいかに意義が大きいのかの調査を開始しています。

 本研究についての詳細情報はどうぞお問い合わせください。(担当:志村)

職域以外の一般人口を対象とした調査・研究

<気分障害における養育環境、気質・性格、成人期ライフイベントの関与>

 うつ病は遺伝、養育環境、気質・性格、成人期ライフイベントの4要因が複雑に関与して発症することが知られています。これまでの研究では、それぞれの要因単独の効果が検討されてきましたが、構造方程式モデリングや階層的重回帰分析による交互作用効果の解析などの統計手法の導入により、複数の要因のうつ病に対する影響を解析することが最近可能となっています。
 最近の我々の一般成人を対象とした研究では、小児期虐待が感情気質に影響を与える効果を介して抑うつ症状を形成していることが明らかになりました。さらに、うつ病、双極性障害患者でも小児期虐待、気質・性格、成人期ライフイベントが発症、症状形成に大きく関与していることが明らかになり、一部の要因は症状の難治化に関与していました。さらに、血中の神経伝達物質、神経栄養因子などの生物学的マーカーの関与も今後当教室では検討していく計画です。
 これらの研究成果に基づいた施策を導入することで、企業におけるメンタルヘルス対策に貢献したいと考えております。

<気分障害における睡眠障害や生活習慣の関与>

 睡眠障害は多くの精神疾患に必発の症状であり、中でもうつ病や双極性障害の病態や臨床経過と睡眠には密接な関係があると指摘されています。うつ病の寛解期の不眠症状の残遺が再発の危険因子となることや、双極性障害の寛解期の概日リズムの乱れがその後の病相の悪化に関連することが報告されています。しかしながら、この分野の臨床研究は世界的にみても十分な検討がなされておらず、未だ多くの課題を抱えています。そこで我々の教室ではうつ病や双極性障害等の気分障害をはじめ、多くの精神疾患と睡眠障害との関連やその治療法に対する臨床研究に取り組んでいます。さらに本学には睡眠学分野の教室があり、睡眠学分野の研究員と連携しながら精神疾患と睡眠障害の臨床研究を進めております。一般的に精神科分野の研究で行われる質問紙や構造化面接、画像診断に加えて、終夜ポリソムノグラフィやアクチグラフィといった客観的な睡眠評価機器を用いる方法やメラトニンの測定による時間生物的な手法を取り入れた、独自の研究を行っています。
 臨床研究の素晴らしい点は、実臨床で得られた疑問に対して研究を行い、その結果を患者さんや企業、社会に直接還元できる点だと考えております。当教室では臨床を最重要と考えながらも、同時に臨床研究を行っていく指導・教育体制を確立させています。臨床経験をもとに新たな研究へチャレンジしていく当科の産業医プロジェクトにご期待ください。